50歳からの仕事と人生

50代から始める介護・仕事・健康について

家で死ぬ・在宅看取りを考える・父と私の30日【その2】

介護施設で働いているびょうです。

 

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前のブログで書いた通り、

難しくはありますが、これを機会に父の看取りに関して

書いてみようと思いました。

うまくまとめられないかもしれないし、

とりとめが無くなるかもしれませんが、

よろしければお付き合いください。

 

 

 

10月は父を思う月

10月の涼しい風を感じると、 父を見送った頃の記憶が思い出されます。

Facebookの思い出の項目でも、

父との最期の日々を投稿したものが 毎年上がってきて、

当時のことを思い出します。

日々のブログに父のことを書こうとすることもあったのだけど

まだうまく整理ができていないのです。

それほどに自宅で家族を見送ることは難しいことです。

はてなブログは全然更新できていませんが、

開設した一つの目的は、日々のブログで流してきたことを

まとめていくことだったので、

今朝はふと、こちらに書いてみようと思ったのでした。

その日々は頭に残ってるのですが、

人の死はあまりに深いテーマであり

またその介護は最終的にドクターストップが出るほど

過酷であり、そして人間は怖いことは忘れてしまうサガ。

思い起こすことも、まとめることもとても難しく、

5年目である日々のブログでも書くことはできませんでした。

今、この場所に、好きに書くことができる場所を得て、

できるかどうかわからないけれど、

まとめて書いてみようと思います。

 

 

 

 

次女なのに気ままな一人暮らしを辞める

私はもともと、絶対に実家暮らしなどしない、と決めていた人間で

実家にはずっと姉が両親と暮らしていて、

姉と折り合いの悪い私は絶対に帰ることはないと思っていたし、

あまり立ち寄ることもありませんでした。

離婚して極貧生活していた頃も、両親からのサポートをあまり

受けること無く、水に砂糖を溶かして飲んで栄養を補給していた

時期もありましたから、あとは全部姉に任せるつもりでした。

しかし、姉は家を出て、

父が末期の癌で余命半年とされた時、

選択の余地もあまり考えず、荷物をほとんど処分して

実家に戻りました。

実家と言ってもうちはずっと借家暮らしで、その家も

両親と姉が賃貸していた、私が住んだことのない家です。

実家に帰るとその時に一時入院していた父が居ない中、

母がぼんやりと居間に座っていて、

なんとなく、帰ってきてよかった、と感じました。

 

一時は回復した父

しかしながら、余命半年と言われた父も、たまたま使った

抗がん剤がとても合っていたようで、

主治医も驚いて笑っていたほどに回復。

余命半年が結局そこから5年、生きながらえました。

それどころか、抗がん剤を打ちながら、

それまでやっていた肉体労働もこなしていた父。

そしてその中で、よりコンパクトに暮らすために、

今のマンションに移り住みました。

 

病院の不条理な対応

段々と父の力も落ちてきて、かかりつけの大学病院に

入院していましたが、その大学病院が建て替えになり

院内の配置換えがあったからでしょうか、

処置の悪さも聞こえてきて、

ある時、同じ部屋に入院している方が

そっと教えてくれました。

「新しい看護師が点滴が下手で、この前は3時間も

あれこれと針を刺されていたよ」

若い人、動ける人はその看護師を避けるために

別の場所に行きお願いしていたようですが

寝たきりの父は高齢なこともあり、

されるがままだったらしい。

それに持参する紙おむつが足りなくなると

施設のように家族に連絡というシステムは病院には無いのか

父が怒られていた、とも教えて貰いました。

やるせない気持ちの中、

主治医が変わると連絡がありました。

前の主治医はとても優しく父のことも尊敬する年長者、

という雰囲気で接してくださいましたが、

新しい主治医は、なんというか…

医師というのは無条件で尊敬される立場だから

たまにこういう人も生んでしまうんだなあ、

というすごく尊大で感じ悪い人でした。

母と姉と相談し、病院から止められましたが、

私達は父を家に連れて帰りました。

 

父を家に連れて帰ろう

初めて使う介護タクシー

どうして頼むのかもわからなかったあの頃。

その介護タクシーの運転手さんは、

同じようにお父さんを看取った方で、

同じような思いの方の為にと開業されたそうで

とても優しく感じの良い方でした。

そして、これ以降、

私は介護・看護を通してたくさんの方に出会うことができたのです。

 

不仲だった両親の愛を垣間見られた

そして、車椅子でタクシーを降りた父、

それをマンションの階上から見ていた母。

父は母の姿を認め、表情が少ない父ではあるけれど

全身で喜びを表現するように、手を振り、

二人はまるで映画の中の恋人たちのように

感動の再会を果たしたのでした。

両親は私が生まれた頃から不仲。

まあ昭和の夫婦はツンデレがデフォルトなので

いやいや言っていても実はラブラブ、

というのも珍しくないのですが、

うちはそれが振り切れていて、

ずっと母に悪口を聞かされて育ったし、

母の夜逃げに道連れにされたし

結局は離婚もしたけれど再婚したという

私は両親に振り回されてばかりで

結婚は人生の墓場である、

ということを幼少から心に刻んで生きてきたので

そんな両親の感動的な姿を見ることができたのは

在宅での看取りを選んだ時の

一番最初の奇跡、だったのかもしれません。

 

続く

 

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