平岡びょうの50代から描く人生ノート

50代から始める介護・仕事・健康について

高齢者も多様化・我々が思い描く高齢者はもういない

介護施設で働いているびょうです。

 

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無資格未経験から始めて今年で5年目。本来なら去年今年介護福祉士を受けていたはずなのですが、当時はまだ未知のウイルスだったコロナウイルスのせいで、去年は断念。今年実務者研修を受けています。

 

そんな中、ふと思うことがあります。

 

 

 

 

街の景観に写り込んでいた古き良き高齢者

 

夏が終わり秋になる今、街の風景を見ると、昔に比べて茂る雑草が目に入ります。

年々増える気象災害、去年から続くコロナウイルスへの対策、それ以前に消費税増税以降からの不況で自治体の財政が圧迫されて、街の景観が損なわれている場所が増えました。

しかし、そればかりではないのですよ。

夏になるといつも思い起こされるのが、物凄い暑い日に道路に座り込んでいた高齢者。

薄く白い肌着にステテコ姿で道路に座り込んで、無心に草むしりをしていたお爺さんの姿。

こんなに暑い日も?と言うほどの酷暑日に、着ているシャツが絞れる程に濡れて透けている。それでも負けじと家の前、歩道の植え込み、文句一つ言わず、黙々と草をムシっている姿。それが私が思い浮かべるひとつの高齢者像。その高齢者がひとり、またひとりと街の風景から消えて行きました。彼らの行き先は、高齢者施設なのか天国なのか知る由はありません。

 

高齢者施設にはまだ昔ながらの高齢者がいる

 

介護施設で働き始めて最初にびっくりしたのは、90代の利用者の多さでした。

超高齢社会ですから元気な80代はよく目にしていたのですが、90代となるとぐっと人数が減るイメージでした。しかし、高齢者施設では驚くほど90代が多かったのです。

「私は13年生まれ!」と言われるので、昭和13年にしてはちょと老けてるなと思ったら大正13年。え?昭和じゃないの?と言うと、そんなに若く見えますか?と大笑いされていました。

そういう年齢の方々は、なるほど私の思い描く高齢者でした。

 

中高年が思い描く高齢者の像

 

高齢者。お爺さんお婆さん。と考えた時に、前述の、夏の暑さ、冬の寒さにもめげず行動している印象がありました。何でも有り難い有り難いと言われ、物を大切にしている。古い服を繕って長く愛用している。出された食事も有り難いと拝んで残さず食べる。言われたことは文句も言わず、ありがとうねと言いながら守ってくれる。そうした有難がる世代のイメージです。

 

今現在の施設の高齢者像

 

実際の今の高齢者は80代でももう少し若い感じです。

戦争体験も終戦時にはまだ小さな子どもだった世代なので、戦後は大変だったと言いながらも食料確保に奔走していたのはその親の世代で戦後の厳しさは子供の記憶程度。

若い世代ほどでは無いけれど、自己主張もでき、食事への不満も多くなっています。ああしたい、こうしたい、という欲求も普通に声に出される方も多いイメージです。それ自体は抑圧された高齢者からの脱却で良いことなのですが、若くなればなるほど欲求が増えます。

 

名前の変遷が顕著

 

私が一番がっかりしたのが、みなさんの名前です。

私の祖父の名前は鹿一(しかいち)なのですが、そういう風に高齢者は名前に独特なものがありました。女性だったら、とめ、よね、よし、みつ、など昔話に出てくるような昔のお名前。そういうのを知るのが楽しみだったのですが、今ではすっかり昭和のお名前なので、鈴子さん、陽子さん、などもう私達と何の代わりもありません。

 

団塊の世代の登場

 

団塊の世代とは堺屋太一さんの著書から取られた呼称と聞きます。

1947-1949年生まれを指す言葉というのが最初だったようですが、とてもその2年を指す言葉ではないほど、捉え方は広がっているように感じられます。実際、1951年までを指すという考え方もあるようで、そちらが一般的かと思います。

そんな方々は現在、70代半ばになられました。各施設にも徐々に増えています。

 

ビートルズ世代とも言われる

 

団塊の世代ビートルズ世代とも言われます。GS世代というのもあります。

明治大正生まれで何でも有り難い有り難いと言いご飯は粗食を残さず食べる小さい爺さん婆さん、そんな人をお世話するのが介護職だったと感じていましたが、今からはビートルズを聞き、高学歴、美味しいものが食べたいし、テレビだけでは物足りない、そんな世代をお世話することになるのです。共有スペースのテレビも時代劇を写しておけばいい、という訳でもなくなり、自分の意見をストレートに伝えることができています。

 

体格も格段に良くなっている

 

私が4年前に初任者研修を受けた時、クラスの半数が男性だったので、女性が苦手な私にはとても楽しい時間でした。男性が多いだけでなく、その時には50歳だった私の他に、49歳の女性、48歳男性、60歳男性、65歳男性がいました。介護の世界も高齢化…

その中でその65歳男性は身長が高く、ガタイもいい。身長は180センチ近くあったでしょうか。介護の実習でベッド上の介助を練習する時、その方は介護ベッドの上下がぴったり、さらにとても重くて、ベッド上での上下の移動の練習ができませんでした。

また、実際の施設での利用者さんでは、六大学出身のラグビー部だった方を介助したことがありますが、重いです。筋肉質なのでおむつを変える時に持ち上げる太ももひとつにしても、持ち上げるだけで腰がメキメキ言います。今思い出しても辛かった思い出です。

 

 

個別ケアがますます多様化する

 

介護保険制度は私達の歴史の上ではまだまだできたばかりで若い制度です。

そんな中でも大きな転換期がありました。

当初は、食事排泄風呂という3大介護をお世話するのが介護の仕事だったのですが、その後、超高齢社会に突入すると、思わぬことが起こりました。

認知症の増加です。

身体の機能が落ちた方のお食事、トイレ、お風呂を介助すればいいという訳ではなくなりました。脳の機能が低下した方の日常をお世話しないといけなくなったのです。それに加えて、自己実現への欲求が高い世代が登場してしまった今、ますます個々に適応する介助が必要になってきました。

 

多様化する介護と足りない介護の手

 

実際、理念としての介護を実務者研修で教えられるにつけ、思うのです。

日々、介護職に対する要求が高くなる中で、人手が足りなすぎます。自分の職場でも人が足りず、利用者さんにしてあげたいことは沢山あるのですが、最低限の介護だけで手一杯です。ギリギリの中で働くうちに、心の余裕も無くなっていきます。もともとが「底辺」などと揶揄され、介護だけはごめんだ、という声も多く聞こえる仕事です。人の嫌な仕事をしているからと言って報酬が高いわけでもありません。自分自身、介護職は嫌いではありませんが、自分に子供がいた場合、子供が介護職になると言うと、諸手を挙げて賛成はできません。また、仕事の忙しさ、ストレスの多さ、報酬の少なさから、介護職の方とお付き合いしたいとも思いません。そんな業界に人が増える訳はないのです。

 

介護職の思いは届かないまま

 

そんなギリギリの業務の中で、さまざまな認知症の方の対処を余儀なくされ、さらに団塊の世代の要望にも応えないといけない介護職。以前、病院でのモンスターな患者の対応に苦慮するという話題がありました。介護の世界でも同様に、モンスター級の方は増え続けていますし、精神的な病気を伴わない方の暴言・暴力も増えています。わからない方が暴れているのではなく、十分にわかっていて手を挙げる人、文句をぶつけてくる人は実際に多いです。自分も最近、心が折れることが多くて、同僚とLINEで解消する程度で、ストレスは日々、溜まります。

 

早急な対処が必要とされている

 

www.mhlw.go.jp

 

 

上記の厚生労働省の発表のように、2025年度には約32万人、2040年度には約69万人を追加で確保する必要があるとされています。誰でもできる仕事、と軽んじられている仕事ですが、実際「できる」人がいないのです。誰でもできる、と言えるでしょうか。

そして、対象である高齢者も今までと違うのです。

多様性が求められる時代、介護の世界にも見直すべき問題が山積しています。

もっと現場の声に耳を傾け、早急に対処していただきたいと痛感しています。

 

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