50歳からの仕事と人生

50代から始める介護・仕事・健康について

コロナウイルス終息は無いという考え方・自分の心を振り返る大切さ

以前、別ブログの方で少し書いたことがあるのですが、

怪我や病気になった時に、

完治するのがもちろん最良なのですが、

「治ったらこうしたい」

という気持ちで前向きに治療したりリハビリしたりするのは

もちろん良いことです。

しかし。

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怪我や病気は完治しないと考え方

実際に自分が怪我をした時に思ったのですが、

「もしも治らなかったら」

という選択肢も準備しておく方が良いと自分の場合は思ったのです。

私は幸いにも大きな病気をしたことがなく

手術も高校生の時に虫垂炎をしたくらいです。

介護職に就いてから一度、夕食の配膳時に転倒して

膝の骨を骨挫傷という形で負傷して一月半、仕事を休みました。

誰が見ても見事な労災案件だったのですが

その時は会社が労災にはできないと言ってきたので

怪我よりもそちらと戦う方が大変でした。

痛みの耐性はあるので痛いとか辛いというのはありませんでしたが、

会社の事務方の担当者の方が、

完治したらもちろん良いことだけれど

もしも完治しなかった場合、

すなわち、後遺症が残って歩行に支障がでた場合に

その職場を辞めずに残って、

移乗などがない障害者支援の仕事に就いてはどうか、

と提案されました。

完治しないという考えが全くなかったので、その時は

目からうろこという感じでした。

年配の女性からの提案で、やはり人生経験豊富な人は

考えが深いな、と思ったものでした。

 

わかりやすく身近なダイエットに例えてみると

その後は、そうした考えを発展させて考えて、

全てが自分の思い通りにならない場合でも

そこを起点に考えを組み立てていくようにしています。

こう書くとちょっと小難しいですけど、

わかりやすく言えば…

ダイエットして痩せたらこうしよう、ああしよう、

というのは女性なら誰でも考えることだと思います。

もちろん、それを目標に頑張るのは良いことです。

しかし、それでは、痩せないと今時点の人生に価値がないのかというと

決してそうではないと思うのです。

だから、痩せなくても自分の好みのテイストのファッションを

楽しむにはどうしたらいいか、

今の自分でも十分にできることを考えていくのが

結果的に自己肯定感を高めることになるのではないか、

という考え方です。

 

希望を捨てるのではなくB案を持つのは中高年ならではの考え

病気が治ったらここに行きたい!あれがしたい!

という考え方をA案として持っていても、

そこから、

待てよ?今の状態でそれはできないことなのか?

万全じゃないけれど、これくらいできたらいいんじゃないか?

こういう方法でより近いことが楽しめるのではないか?

というアプローチをB案として持つのです。

もちろん、病気が怪我が治ったら、

ダイエットに成功して見事なプロポーションになれば一番いいですが

そもそもそんなに簡単な事ならすでに今現在

成し得ているのではないかと思うのです。

若い頃ならば、なんとかして成し遂げようと必死になっていたかもしれません。

でも、50歳を過ぎて、

病気や怪我でも現状維持でも精一杯だったり

ダイエットも代謝が落ちて難しかったりしますし、

何よりも、

私達には時間がないのです。

いつかいつか、と考えているうちに、そもそもの健康寿命

全うしてしまうかもしれません。

時間を掛けてダイエットしても、

着ようと思っていた服が60歳近くになって

着られないかもしれません。

じゃあ、完璧ではなくても、今、何ができるのか。

これは中高年の思考なのかもしれませんね。

 

コロナウイルス終息への考え方

そういう考え方とシンクロしているのが、

今、私達を心から悩ませているあの問題です。

【コロナは終息するのか】です。

もちろん、終息して欲しいです。

元の世界に戻って欲しいです。

元の世界に戻って何事もなかったように、以前からの趣味を楽しんだり

夢だった欧米への旅行を気軽に楽しんだり、

多くの友達と集まって飲んで食べて大声で語り合って、

そんな日常を取り戻したいです。

そういう生活が始まってから、丁度一年半くらいでしょうか。

寒い時期に始まったこの戦いで、

私達は当初、

ウイルスの活動が弱まる暑い夏が来さえすれば!

と希望を持っていました。

世間がニューノーマルとか言っていても、

心のどこかで「絶対元に戻るに決まってる」という気持ちがありました。

今だってあります。

そして、今現在、灼熱の夏を過ごしながら、

私達はまだコロナウイルスと戦っています。

ワクチンさえあれば!

とすがるような思いで頑張ってきました。

ワクチンはいつできるのだろう、と首を長くして待ちました。

早くできて欲しいという気持ちと同時に

こんなに早くできてしまって大丈夫なのか?という不安も

抱えていた(いる)ことも否定できません。

自分を使った人体実験のような気持ちは誰しもあったと思います。

そして勇気を持って打った人、

勇気を持って予約したけれどワクチン不足で待ち焦がれている人、

今、ここです。

 

ワクチン2回目を終えた自分の今の気持ち

予約しようにも全然取れなくて不安な人がまだまだ多いと思います。

私は有り難いことに、福祉従事者として職場で優先接種を

していただくことができました。

母も副反応を起こすこと無く2回めを終えました。

まだ少数派の50代でワクチンを打つことができた人間として

今の感想を言わせていただくと、

不安であることに全くというほど変わりはありません。

実際、接種時のドクターの説明では、

ワクチン2回の接種後にはだいたい9割ほど感染しにくく

なりますよ、という話でした。

でも1割はかかるということです。

感染しても重症化しないということですが、

重症化しようがしまいが、かかりたくないというのが非常に大きいです。

 

冷静に見ると状況は悪くなるばかりです

当初から、自分が感染してホテル療養などになったら

母の面倒は誰が見るのだろう、と不安はありました。

そして、考えるのが怖くて知らないふりをしながら

流すように生活をしているうちに、

どうかしたらホテルどころか重症化しても

入院さえできないような状況になってしまっています。

若い人はかかっても軽症で済む、

なんて話は昔の話になってしまいました。

欧米は乾燥して寒いから大変じゃないか、

なんて言っているうちに、

アジアの南部でも強い感染力を持つウイルスに変異してしまいました。

そして、まだ未知の部分が大いにしろ、

デルタ株に続き、ラムダ株が日本で発見されたということです。

www.tokyo-np.co.jp

 

無事に終わったように見えた五輪ですが、

日本中が湧いたメダルラッシュの代償としては

ちょっと重いものになってしまったのではないでしょうか。

そして、過ぎたことは仕方がないと諦めたとして、

もう一度、ちょっと冷静になって考えてみると、

コロナウイルスの感染については

終息はないのかもしれない、という疑問が湧いてきます。

それは誤解であって欲しいです。

来年頃には杞憂であったと笑っていたいです。

でも…

これを読んでいる方で本気でそう思える方が

どれくらいいらっしゃるでしょうか。

確かに希望を無くすような考えもよくありません。

でも、病気が100%治らなかったら、

ダイエットに失敗したら、と同じレベルじゃないにしても、

コロナウイルスがこの世からなくならないとして考えてみると、

今、私達は何をすべきなんだろうか、と考えてしまいます。

 

死が身近に迫る前に考えたいこと

50代の私の頭の中には、

高齢になった時の自分の生活の不安がいっぱい詰まっています。

しかし、

私は高齢者になれるのだろうか。

なれないとしたら、今、何をすべきなのだろうか。

何らかの方策で、梅雨の晴れ間のように感染が落ち着いた段階で

私がやりたいことは、なんだろう。

最近はそれをよく考えていました。

したいこと。

行きたいところ。

見たいもの。

そして、ここ数日の感染の爆発的な拡大とともに浮上した考え。

【大切な人に自分の思いを伝えないといけないかもしれない】

ということ。

重症化しないというのも確率の問題ですし、

もしかしたら、来月、来週、

いや、明日、明後日、

大切な家族や友人と会えなくなる日が

突然訪れるかもしれない。

そんなことを考えてしまったんです。

以前と比べて、死というものが格段に近くなってしまいました。

たとえ後で笑い話になったとしても、

今、あなたが大切ですよ、ということを伝えておく。

外に出られないストレスフルな生活ですが、

昔に比べて通信手段が手軽で豊富です。

今一度、私は何がしたいのか、どこに行きたいのか、

何を見たいのか、何が欲しいのか、何が食べたいのか、

そして誰と会って語り合いたいのか、

考えておくのは大切なことだと感じています。

 

新しい終活の考え方

終活。

重い言葉ではありますが、

今まで終活とはどことなく、高齢に向かっての考えでした。

でも、世界の情勢が変わってきた今、

増え続ける感染症からの終活ということも

ひとつの考え方になってしまったとも感じます。

そして、これは私の昔からの考えなのですが、

一度絶望してしまった後に開ける風景が

本当の希望なんじゃないかな、なんてことも考えます。

 

長い駄文をお読みくださって、ありがとうございました。

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